未来と記憶の再解釈

いつもの大通りに出る車内から、景色を眺めていただけだったのに。

ラジオから若い頃、うまく演奏できなかった曲がおもむろに流れ、

後悔や恥がじわじわと涙になって溢れてきました。

すると一人の黒人男性が、私の前を通り過ぎます。

彼はその曲のミュージシャンに似た若い男性で、

そのとき、その曲が私の人生の一部となって、心を励ましてくれていると気づいたんです。

経験は、ただ「過去」という壺に入れて、古び、忘れ去られるものではないのかもしれない。

たとえば、学生時代に人前で声が震えた発表も、子どもの頃、何も知らないのに威張って恥をかいた出来事も、

ふとした瞬間に「意味」を変えて、今の私を支える力になることがあるからです。

どうしようもない失敗も、幼い記憶も、恥ずかしさで身をよじる妄想さえも――

壺に隠しているつもりでも、時々脳裏によみがえります。

そういえば、過去の出来事は、未来を呼び込むための伏線として常に機能していると、聞いた事がある。

未来は過去を透過してやってくるのかなと、想像してみると、

孤独も後悔も喜びも、すべては未来の可能性を準備する器であり、

それらは、その場限りの結果ではないと言える。

未来と過去は対になり、互いを映し合いながら、「現在」を生み出し続けていると、そんな風に感じています。

あなたも、昔の思い出が不意に「やさしい贈り物」になる瞬間を感じたことはありませんか?

意識の変容を体験した人は――

「早く愛を伝えねば。

人の役に立たねば。

もっとステップアップしなければ。

経済的に自立しなければ。」

そんな風に、自分を急かしてしまうかもしれません。

でも、本当は「ねばならない」は必要ない。

「しなければ!」と思ってなにかを達成できたことなんて、実は一度もなくって。

ただ表現したいことを語って、

行きたいところに行き、したいようにしているだけで十分なんじゃないかな。

必要な情報はすでに内にあるし、必要な経験もすでに済んでいる。

あなたは「自分」であるだけで、十分通用するから、十分やっていけるから、今ここにいる。

素敵な未来は既にあるから、過去が透かされる。そんな風に、思うんです。

体験は唯一無二の時間であり、時間そのものが自分自身です。

私たちは未来と過去の間に立ちながら、時間を通して意味を語らされている――

語りうる存在だからこそ、体験に呼び出されているとすら感じます。

なら今日も、日常に小さな「意識の隙間」を。

休憩中のコーヒーの香りでも、誰かと交わす他愛のない「おはよう」の声でも、

それは過去と未来が交差して生まれた、今この瞬間の「贈り物」だと捉えたい。

なぜなら、自分の経験をどう再解釈するかが、

やがては他者への視点を変え、世界の見え方さえ、変えていくから。

 

 

 

 

 

 

 

自己統合や次元上昇のお手伝いをする誘導blogを書いています。

御覧くださりありがとうございます!(人•ᴗ•)✨感谢

ソウルメイト・ツインソウルランキング にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

Twinray recordをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む