批判を受けても、分かってもらえなくても

「この分野をスピリチュアルと一緒にするな!」「何言ってるのかわからない」「理解できないけどあなたがそう思うならいいんじゃない?」
そんな意見をしばしば目にしますし、実際耳に入るとなかなかショックなものです。

まぁ、自分だって「意味わかんない」「それは間違いじゃないの」と批判することもあるんだから、言われても仕方ないとは思うけど…すぐにこのもやもやは晴れない。

スーパーの商品をぼんやり眺めながら、頭の中ではさっき言われた「意味わからない」の一言がぐるぐる回ってしまう。

恥ずかしくて顔が赤くなり、「やっぱり私は変なんだ」と思いながら自宅の鍵を回す時、

「あ!卵、買い忘れちゃった…。」と、またズーンと落ち込んでしまったりします。

でも時間が経つと、あのざわざわは「恥」そのものではなく、「もっと分かって欲しい」という衝動だったんだと気づきます。

「変だ」と思われても、私にとっては大事な実感がある。

その大事さに触れたからこそ、卵を忘れるくらい心が動いていたのだなあと。変な体験って、そういう“心の内を揺さぶるもの”だと分かるんです。

世界の見え方がまるごと変わってしまったら、人はどうしても一度、“スピ”という超越的な通路をくぐらざるを得ないことがあります。

それは言い訳でもなく、選択でもなく、「巻き込まれる」ことなのだと思います。


好きで起こったわけじゃない体験

まるであらゆる希望のような光を見たり、音が鮮明に聞こえたり、身体が様々な情報をキャッチしたり、経験したことない深い繋がりを感じたり。

そんな覚醒と言われる感覚や、ツインレイとの出会いのようなイニシエーション。

それは「求めて起こす」ものではなく、「気づいた時には既に起こってしまっている」もののようです。

体験は、自分ひとりでできるようなものじゃないもの。

あの恍惚感、多幸感は、執着しちゃうくらいに、よくって。

でも再度求めても自分の思い通りにはいかないから「なんでこんなことになってしまったの」と悶絶する。

その葛藤の時間の中で、多くの方がやがて気づきます。

──ただ、その特別な一時の体験に浸っているだけでは進まない!!

だから「この《愛》を知るために起こった」から、

「この《愛》を表現するため起こされた」

そんな心構えに徐々に転じるよりほかなくなります。


批判されても大丈夫

「スピはヤバい」「正しいかどうか」「心理学ならOK」「物理学の方が賢い」「芸術が一番崇高だ」
色んな立場や意見があるのは当然です。

でも、その中でどんなスタイルを取ったとしても、必ず反対側が生じます。

それを知っていれば、批判や嫌味を恐れずにいられると聞いたことがあるんです。

むしろ批判したくなる、嫌味を言いたくなる。そんな他者の態度の奥にある本心を炙り出したのかもしれない。

そのために「させられた」とすら思えてくるのです。

そしたら分野の垣根を越え、自分を責めず、他者を許容できる気がする。

じょじょに安心感と、自分の存在の大きさに、思考のごちゃごちゃが落ち着いてくるようです。

このリネンの肌触りや、今にリラックスできている事に後から気づいて、ああ、大丈夫なんだって、ホッと一息つけるんです。


あなたとわたしがひっくり返る

蔑みや奇異の視線にさらされたとしても、それらは結局「私の残像」でもあります。

一方「自分」だと思っている方は、過去の記憶や、「今の私」を形作ってくれた他者の投影。

なら私は、過去の他者を抱擁します。

もう繋がっていたのなら、嘘も誤魔化しもなくていい。

そんな≪愛≫を表現する時の緊張感は、初めてあの人にさらした日のように、ドキドキする。

一方であの人のあの日の気持ちが、やっとわかる気がするんです。

このような意識の変容が、「あの人」と出会わされた理由であり、

再び「あの人」と出会いなおす意味へとつながっていくような、そんな事を、じんわりと、身体全体で納得できるのです。

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

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